神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。
コリントの信徒への手紙二 7章10節
コリント教会の信徒たちは、パウロの手紙によって神の御心を知り、自分たちが犯した過ちを悲しみ、悔い改めた。パウロは彼らの悔い改めに導かれた悲しみを「神の御心に適った悲しみ」であると言う。
今日の聖句で、パウロは悲しみには「神の御心に適った悲しみ」と「この世の悲しみ」とがあると言う。「この世の悲しみ」は自分の犯した罪を後悔するが、罪を告白して赦しを乞うことをしない。自分を責めて自虐的になるか、時代や他者のせいにして自己正当化する。自分が犯した罪に気づいても、悔い改めに導かれない「この世の悲しみ」は、新しい歩みを生み出さないばかりか、死と滅びをもたらすのである。
「神の御心に適った悲しみ」とは、自分が犯した罪を神の前で悲しむことである。神に罪の赦しを願わないではおれない悲しみである。神は私たちが自分の罪を悲しみ、赦しを願う時、主イエスの十字架の恵みを注いで罪を赦してくださる。そして、まず私たちに神の和解を与え、そして他者との和解に導いてくださる。神の赦しの恵みが私たちのうちに「悔い改めを生じさせ」、自分が犯した罪をはっきりと告白させる。私たちが自分の罪を深い悲しみをもって告白する時、神は私たちを救い、新しい歩みへと踏み出させてくださる。私たちキリスト者は日々、み言葉の光に照らされ、神に罪を裁かれ、罪を赦されて、隣人に赦しを乞う者となり、また隣人を赦す者とされてゆく。神の和解は人と人とを和解へと導く道である。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。