わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。
コリントの信徒への手紙二 4章7節
「土の器」であるというのは、人間はもろい存在であるという告白であると同時に、陶工が粘土で器を作るように、神に造られた存在であるという告白である。器の存在価値は、器そのものでなく、その中に何を盛るかによる。神は私たちを神の栄光を盛る器として造られた。
私たちは神の栄光のために、与えられた務めを果たしていこうとする時、さまざまな苦しみに直面し、自分の罪と無力を知る。しかし、その中でこそ、私たちは神の力を知る。今日の聖句が語るように、私たち信仰者は自分の中から出てくる力ではなく、並外れて偉大な神の力によって生きている。だから、苦しみから逃げるのではなく、進んで大変だと思われる働きを引き受ける。苦しみに会うことは、神に愛されている証拠である。
信仰生活とは、平穏無事な道を求めることではない。すすんで主の務めを引き受けることである。それは、自分の罪と無力をさらけ出すことになるだろう。行き詰まることもあるだろう。しかし、そこでこそ祈らされる。そして、不思議に道が開かれてゆく経験をする。私たちはどんな時にも一人ではなく、神が共にいてくださるのである。私たちは善き力に守られているのである。「過ぎた日々の悩み重く、なおのしかかる時も、さわぎ立つ心しずめ、み旨に従いゆく。・・・善き力に守られつつ、来るべき時を待とう。夜も朝もいつも、神はわれらと共にいます」(ボンヘッファー『新生讃美歌』73)。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。