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朗読 『一日の発見 365日の黙想』7月22日

7月22日

わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられているのですから、落胆しません。

コリントの信徒への手紙二 4章1節  

 

  パウロは使徒の栄光について述べたが、彼の現場は決して栄光に輝くものではなかった。彼は迫害され、中傷され、諸教会のことで心配させられた。その度に彼は落胆した。 使徒の務めを担う現場で、パウロは何度も落胆の経験をした。今日の聖句は、落胆を経験した伝道者が、無力な者を立ち上がらせ、務めを委ね続けてくださる神の憐れみを感謝して語る言葉である。神は御子みこを通して私たちに神の憐れみを現わされた。神の御心みこころに従っていなかった私たちは捨てられて当然だったのに、神は捨てないで、御子によって罪をあがない、「わたしの子よ」と呼んでくださった。キリストによる神の憐れみを受けた時、私たちの生涯は変わった。神の憐れみが、生きる時も、死ぬ時も、私たちの慰めとなった。しかも、神は罪人のかしらのような私たちに伝道の務めを委ねられた。この神の憐れみのゆえに、私たちは「落胆しない」。私たちは依然として無力な人間であり、落胆するであろう。しかし、キリストを仰ぐ時、神の憐れみが私たちを立ち上がらせ、勤めを担う力を与えてくださる。  
 そこでパウロは言う。「わたしたちは自分自身をべ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストをべ伝え」(5節)ると。伝道は自分を売り込むことでも、勢力を広げることでもない。「神の言葉を曲げず、真理を明らかにすることにより、神の御前みまえで自分自身をすべての人の良心に委ね」(2節)るのである。伝道は信仰を強要することではない。キリストの福音を明らかにして、聞く人の主体的な応答に委ねるのである。神の憐れみは人間の自由を大事にする。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。
https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

 

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