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朗読 『一日の発見 365日の黙想』7月12日

7月12日

神は、御心みこころのままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。

コリントの信徒への手紙一15章38節


 キリスト教信仰は、死者の復活の希望を語る。しかし、焼かれて消えて無くなる死者の体を見て、その復活を想像することは難しい。二千年前の人々も、「死者の復活などない」と言い、あるなら「死者はどんなふうに復活するのか」と反論した。これに対してパウロは、植物の種が土にまかれて形を失うと、新しい体となって現われる自然現象に注目させ、創造者なる神が私たちを新しい体にするのは容易であると語る。

 私たちは死んで地上の体を脱ぐと、天国において復活の体を着る。しかし、それは自動的ではない。今日の聖句が語るように、私たちに復活の体を与えるかどうかは、神の「御心みこころのままに」である。主イエスは「わたしの父の御心みこころは、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させる」(ヨハネ6:40)と言った。神は主イエスを信じる者に、復活の体の種(保証)を与えてくださる。
 天国において復活の体が与えられるのは、神と人との交わりの祝福にあずかるためである。「一つ一つの種にそれぞれの体を与えられ」とあるように、天国においても、私たちは他者とは違う各々おのおのの体を持つ。「愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子みこが現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです」(Ⅰヨハネ3:2)。私たちは今すでに神の子であるが、天国において「御子に似た者」、すなわち、神の子としての生き方が完成される。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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