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朗読 『一日の発見 365日の黙想』7月11日

7月11日

キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。

コリントの信徒への手紙一 15章14節

 

キリストの復活は人間の理性では理解できない出来事である。キリストの復活の証人は主の弟子である。「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です」(使徒言行録2:32)。確かにキリストの復活は彼らの生涯を根底から変えた。主の復活がなかったら、主の死を契機けいきに散って行った弟子たちは再び集められなかったし、キリスト教は存在しなかった。しかし、再び集められた弟子たちは誹謗ひぼうされ迫害されたにもかかわらず、命をけてキリストの復活を伝えたことは事実である。
パウロは復活のキリストがペトロをはじめ多くの兄弟たちに現われたこと、そして、最後に教会を迫害していた自分にも現われたことを語る。そして、「復活しなかったはずのキリストを神が復活させた」と語っているとすれば、自分たちは「神の偽証人ぎしょうにん」(15節)と見なされると言う。神の偽証人と見なされることは、神をおそれるパウロにとって不名誉なことであり、断じて受け入れ難いことであった。まさに、キリストの復活を語ることはパウロの神に対する誠実であった。そして、今日の聖句のように、キリストの復活こそ弟子たちの宣教の原動力であり、また信じる者の救いの根拠である。
キリストの復活は私たちを罪と死の支配から解き放つ神の救いである。主の死と復活によって、「死は勝利にのみこまれた」(54節)。主を信じる者の人生は、もはや決してむなしくは終わらない。主と結ばれて、その復活の命にあずかるからである。弟子たちが証言するキリストの十字架の死と復活は、今日も、私たちに信仰の応答を求める神の語りかけである。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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