一人一人に〝霊〟の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
コリントの信徒への手紙一12章7節
神は、「イエスは主である」と告白した者たちを召して、神の民の群れである教会を建てられる。神は召した者たち、すなわちキリスト者たちに霊の賜物を与える。それによってキリスト者が神に仕え、教会の宣教に参与することを通して、神は世においてご自身の業を進められる。
パウロはいろいろな賜物、いろいろな務めがあると語り、霊の賜物として知恵、知識、預言などを、また教会の宣教の務めとして使徒、預言者、教師、援助する者、管理する者などを挙げる。それらは、聖霊であり、御子であり、すべてのものの父である三位一体の神が「望むままに、それを一人一人に分け与えてくださる」(11節)。ゆえに、賜物も務めも受けていないキリスト者はいない。また、これらは神が熟慮して一人ひとりに分け与えられるものであるから、誇ることも、卑下することもない。どの賜物も、どの務めも、必ず他を必要とし、他と結ばれて、宣教の業が進められる。今日の聖句の「益」という言葉は、共に進むという意味である。各々に与えられる賜物や務めが共にされて、教会の宣教は進められる。
パウロは賜物の真偽を識別する基準について語る。第一は、賜物は個人の能力ではなく、「イエスは主なり」と告白するものである。第二は、「全体の益となる」、すなわち個人的なものではなく、教会全体は共に進むためのものである。私たちは各々(おのおの)に与えられた賜物をもって、共に主に仕え、「イエスは主である」ことを証ししたい。同時に、自分の奉仕は他の兄弟姉妹の奉仕に支えられていることを思い、感謝し合いたい。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。