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朗読 『一日の発見 365日の黙想』7月3日

7月3日

 聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。

コリントの信徒への手紙一12章3節  

 

 聖霊は主イエス・キリストと切り離しては理解されない。「主は霊である」(Ⅱコリント3:17)。二千年前の歴史の中で人の子として生きられた主イエスは、今、聖霊として時間と空間を超えて臨在りんざいし、働かれる。 
 今日の聖句は、私たちが「イエスは主である」と告白する信仰も、聖霊による賜物であると語る。聖霊は主イエスの言葉と業について証言する聖書を通して語りかけ、神を信じて生きる人間を創造する。私たちが主イエスを信じ、神に愛されていることを知るのは、聖霊の働きによる。私たちが幼子のように神を「アッバ、父よ」と呼ぶ者となるのは、聖霊の働きによる。 
 聖霊は私たちを神と和解させ、神との交わりに入れ、私たちに霊の賜物を与えて神の御心みこころを行わせる。聖霊は私たちをキリストの体である教会に召し、主イエス・キリストに仕える神の奉仕者とする。神を信じる者を起こされるのも、神の奉仕者を起こされるのも、教会において働く聖霊である。聖霊は今、生きて働かれるキリストの霊であり、神の霊であるゆえに、私たち人間が聖霊を自由に操作することはできない。聖霊の働きは、神の自由に属する。  
 
 しかし、主イエスは「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」(ルカ11:13)と言い、「求めよ、そうすれば与えられる」と言う。主イエスは神が聖霊を与えてくださる方であると約束し、私たちの祈りを喚起かんきされる。私たちは主の約束を信じ、聖霊の働きが豊かに現わされることを願って、謙虚に、かつ熱心に、聖霊を祈り求めよう。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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