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朗読 『一日の発見 365日の黙想』12月8日

12月8日

あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。

 ヨハネによる福音書16章20節


 主イエスはご自分の死によって弟子たちが悲しむことを思い、今日の聖句を語った。主イエスは「その悲しみは喜びに変わる」と約束する。弟子たちは再び主と会うからである。「わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる」(22節)。弟子たちは肉眼で見える主イエスではなく、復活して永遠に生きておられる霊なる主に会うのである。その時与えられる喜びは、もはや何者からも奪い去られることはない。「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)と言われる復活の主が弟子たちの喜びの源となる。
 主イエスもまた悲しみと死の道を通られた。その主イエスを神は死から復活させて、栄光を与えた。弟子とは主イエスの道を歩む者である。主に従うゆえに受ける試練の日々は、闇の夜のように感じられるであろう。しかし、夜は「しばらく」なのである。必ず悲しみは去り、喜びが訪れると主は約束する。「その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない」(23節)と主イエスは言う。事実、弟子たちは復活の主にお会いした時、主の十字架の意味を理解した。主イエスは世を罪から救うために神がつかわした救い主であった。弟子たちは喜びに満たされ、十字架の福音をたずさえて世に出て行った。
 主イエスは弟子たちに主の名によって、父なる神に願うようにと勧め、そうすれば、喜びで満たされると言った。神は主イエスの名によって祈る者にご自分の臨在りんざいを悟らせ、喜びで満たしてくださる。神は目に見えないが、生きておられる霊的な実在じつざいであり、喜びを与えてくださる方である。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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