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朗読 『一日の発見 365日の黙想』12月14日

12月14日

イエスはいばらかんむりをかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。

ヨハネによる福音書 19章5節


 ローマ兵士たちはピラトに命じられて、主イエスをむち打った。それから、彼らは主の頭に茨の冠をかぶらせ、紫のマントを着せ、「ユダヤ人の王、万歳」と言ってあざけり、平手で打った。ピラトは主イエスをむち打った後、放免ほうめんしようと、ユダヤ人たちの前に引き出して、言った。「見よ、この男だ」。
 ユダヤ人の王に仕立てられた哀れな男を見よ。この人は「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。軽蔑けいべつされ、人々に見捨てられ、多くの痛みを負っている」(イザヤ53:2)。しかし、この人は神の怒りによって捨てられるべき罪人を神のみ手に包むために、人間の背きととがを一身に負われた方である。「彼がし貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちのとがのためであった」(イザヤ53:2)。罪なき神の御子みこがこの世に来て、人間の罪のために苦しみ、殺された。それほどに人間の罪は大きい。しかし、神の御子みこが一切の罪を負って死んでくださったので、私たちは神の怒りから救われ、神に義とされる。それゆえに、主イエスを信じる者は救われる。「この人を見よ、この人にぞ、こよなき愛は現れたる。この人を見よ、この人こそ、人となりたる活ける神なれ」(由木康)。
 主イエスを信じる者は、主のみ足のあとに従い、主の苦しみを共にする。人をゆるす苦しみ、人々に神の愛と救いを宣教する労苦を共にする。主イエスは私たちに先だって十字架の道を歩み抜き、復活の栄光を得られた。自分の十字架を負って主に従う道は、復活の栄光にあずかる道である。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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