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朗読 『一日の発見 365日の黙想』7月1日

7月1日

いずれにせよ、主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。

コリントの信徒への手紙一11章11節  

 

 初代教会において、皆の前で預言し、祈る役割を持つ人たちがいた。ところが、その中に、興奮して髪を振り乱して異言を語り、それを「霊に満たされた」状態と思う人たちがいた。女性の中には頭のヴェールを取って熱狂的になる者もいた。パウロはそのような言動は「教会を造り上げる」ことにならないと、これをいさめた。御父おんちちとまったく等しい御子みこキリストが十字架の死に至るまで御父に従われたように、仕え合う関係の類比をパウロは説き、それゆえ、男と女の関係とは、主においては、互いを必要とするパートナーであることを語る。   
 教会の礼拝は個々人が自分勝手にするお参りではなく、神の民全体の集会である。共に神の前に集まり、共に賛美し、共に「アーメン」と唱和することによって、自分一人がここにいるのではなく、神の民とされていることを言い表すのである。  
 教会は社会から閉ざされた場所でも、逃避の場所でもない。礼拝は人々に開かれている。ゆえに、社会の通年や常識からかけ離れた言動は、人々に伝道し、神の栄光を現わす教会を造り上げないことを知るべきである。熱狂的な言動や奇跡的な現象に聖霊の証拠を見ようとするのは、信仰の誘惑である。聖霊はみ言葉とともに働かれる。神の言葉が語られ、神の言葉を聞く礼拝者の間に、聖霊の主は現臨げんりんし、礼拝者を神と結び、神の恵みによって生きる者とする。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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