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主日礼拝宣教要旨

「命を守るみことば」 朴 思郁(ぱく さうく) 牧師

2026年6月21日 (日)礼拝宣教要旨 
聖書箇所:ミカ書 6章8節 

「人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである。」

ミカ書 6章8節 

 霧の海を行く船にとって、羅針盤の針は、進むべき方角をすでに指し示しています。波や風に惑わされても、針の示す方角は変わりません。今朝のミカの言葉も、これとよく似ています。何が本当に大切かを見失いそうな時代に、神は「何が善であるかは、すでにお前に告げられている」と語りかけてくださいます。今朝は、三つのことを心に留めましょう。 
 まず、神が求めておられる善は、すでに告げられています。力ある者が弱い者を踏みにじる時代に、捧げ物をすれば満足されると考える人々へ、神は言われます。求めているのは捧げ物ではない、「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと」だ、と(6:8)。正義は弱い者の尊厳を守り、慈しみは人を切り捨てず、へりくだりは人の高ぶりを退けます。いずれも「命を守る」ことに深く結びつく――だからこそミカ書6章8節は、まさに「命を守るみことば」なのです。 
 次に、この善を、自分の力だけで成し遂げることはできません。正しさに酔い、慈しみを語りながら人を傷つけ、へりくだりの陰に高ぶりが潜む——そんな弱さを抱えています。だからこそ、みことばが必要です。今週の聖書教育も「みことばに整えられて」と題し、「聖書は……義に導く訓練をするうえに有益です」(テモテ二3:16)と伝えます。一度で完成するのではなく、繰り返し養われ、整えられながら、見失いがちな命の尊さへと立ち帰らせていただくのです。 
 最後に、整えられた者は、この世へと遣わされます。「神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられる」(3:17)のです。礼拝に先立ち、女性会が「命どぅ宝の日」によせて分かち合ってくださいました。明後日の慰霊の日を前に、沖縄の方々が痛みの歴史を通してなお守り継いでこられた「命こそ宝」の願いを受け取りました。それは、ミカ書が告げる正義・慈しみ・へりくだりの歩みと深く響き合います。完全ではなくても、みことばに整えられながら、命を守るため、それぞれの場へと遣わされていくのです。 
 羅針盤が船を導くように、みことばは私たちを命を守る善い業へと導きます。「何が善であるかは、お前に告げられている」——この呼びかけに支えられ、すべての命を尊び、共に仕え、共に育つ群れとして、新しい一週間を歩んでまいりましょう。 

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