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主日礼拝宣教要旨

「この石の前に」  ~「神学校週間」を覚えて~ 朴 思郁 牧師

2026年6月28日(日)礼拝宣教要旨
聖書箇所:ヨシュア記 4章19節~24節

「後日、あなたたちの子供が、
これらの石は何を意味するのですかと尋ねるときには」

ヨシュア記 4章21節

 道ばたの記念の石は、それ自体では何も語りません。けれども、子供が「これは何?」と尋ね、誰かがその由来を語り出すとき、ただの石が、ひとつの物語を語り始めます。石は、記憶を運ぶ器です。ヨシュアがヨルダンの川底から取り出してギルガルに立てた十二の石も、まさにそのような石でした。本日から始まる「神学校週間」を覚えつつ、今朝は、三つのことを心に留めましょう。

 まず、この十二の石は、ひとりの手によってではなく、共に立てられました。各部族から選ばれた十二人が、川底からひとつずつ担ぎ上げ、運び寄せた石です(ヨシュア記4章2-8節)。指導者ひとりの功績ではなく、民全体が、ひとりひとり、ひとつずつを担って共に立てたのです。神学校週間も、この「共に担う」ことの上に立っています。伝道者を育てることは、ひとつの神学校だけが担うのではなく、信徒の共同体が共に担う召命なのだ――その信仰の証しとして、私たちの歴史に刻まれてきました。

 次に、この石は、次の世代の問いを生むために立てられました。「これらの石は何を意味するのか」(4章21節)。子供が問うたびに、主の救いの御業が語り直され、信仰の本質が新たにされていきます。石は過去の遺物ではなく、世代から世代へと信仰を手渡す、生きた呼びかけなのです。ひとりの神学生の召命も、真空の中に生まれるのではありません。名も知られぬまま信仰の土壌を耕し、声もなく祈りを積み重ねてきた群れの中から、伝道者はひそやかに召し出されてくるのです。

 最後に、この石は、すべての民が主を知り、私たちが主を敬うために立てられました。「地上のすべての民が主の御手の力強いことを知るため」(4章24節)――石は、地の果てに至るまで開かれたしるしです。今週の聖書教育も「折が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝えなさい」(テモテへの手紙二 4章2節)と告げます。福音を語り続ける勇気は、自分の内から湧く気力ではなく、「主はこれまで確かに導いてくださった」という、あの石が指し示す記憶から与えられます。だからこそ私たちは、折が悪い時、語るべきことを飲み込んでしまいそうな時、もう一度この石の前に立つのです。

 今朝、私たちは、ギルガルに立てられた十二の石の前に、ご一緒に立っています。主が導いてくださった確かな記憶の前に立ち、その記憶を次の世代へと語り継ぐ者として。神学校と神学生を覚えつつ、福音を語り継ぐ者を共に育ててまいりましょう。「共に仕え、共に育つ」群れとして、新しい一週間を歩んでまいりましょう。

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