2026年6月14日(日)礼拝宣教要旨
聖書箇所:コリントの信徒への手紙二 12章7節〜10節
コリントの信徒への手紙二 12章9節
「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」
割れたり欠けたりした器を漆で接ぎ、その継ぎ目に金を蒔く「金継ぎ」という手仕事があります。割れ目は隠されるのではなく、かえって金の輝きが宿る場所となります。今朝のパウロの言葉も、これとよく似た真実を告げています。私たちの弱さは、恥じて隠すものなのでしょうか。それとも、神の恵みが流れ込む場所なのでしょうか。今朝は、三つのことを心に留めましょう。
まず、取り除かれない「とげ」が、私たちの現実にもあります。パウロは「わたしの身に一つのとげが与えられました」(7節)と書きますが、それが何であったかは記されていません。読む一人ひとりが、自分の抱えるとげをそこに重ねられるためでしょう。長い病、ままならぬ関係、消えない悔い——偉大な使徒でさえとげを抱え、「離れ去らせてください」と三度も主に願いました(8節)。取り除いてほしいと願うことは、信仰の弱さではなく、むしろ正直な祈りの姿です。
次に、神の恵みは、弱さを取り除くのではなく、弱さの只中でこそ十分に働きます。三度の祈りに、主はこう答えられました。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(9節)。弱さは恵みを妨げるものではなく、恵みが最もはっきりと現れる場所なのです。今週の聖書教育も、パウロは兵士・競技者・農夫の喩えで「強くなりなさい」と勧めつつ、それを「努力によって達成せよとは言わない」と語ります。強さの源は、私たちの頑張りではなく、キリストの恵みなのです。
最後に、弱さは誇りとなり、互いに支え合う場となります。「むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。……わたしは弱いときにこそ強い」(9〜10節)。神さまは、体の中で弱く見える部分をこそ、いっそう引き立たせてくださいます。だからこそ、弱さは隠すものではなく、持ち寄るものです。先週迎えた協力牧師の就任もまた、欠けある者同士が祈り、ゆだね合いながら福音を受け継ぐ、一つの継承の出来事でした。
継がれた器が再び食卓で用いられるように、私たちも、強くなってから仕えるのではなく、割れたまま、その割れ目に恵みの輝きを宿して仕えていきます。「わたしの恵みはあなたに十分である」——この一言を握りしめ、互いの弱さを持ち寄り、共に仕え、共に育つ群れとして、新しい一週間を歩んでまいりましょう。