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朗読 『一日の発見 365日の黙想』7月25日

7月25日


キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。

コリントの信徒への手紙二 5章14節

 

 パウロをはじめ、初代教会の信徒たちは、キリストを信じただけでなく、福音を宣べ伝えたので苦難を受けた。しかし、彼らはキリストのために苦しむことを光栄に思い、福音をべ伝える働きをめなかった。パウロはその理由を今日の聖書の一句で語っている。十字架につけられて死んだキリストの死は、ただ一人の人物が死んだというのではなく、私のためであったと分かる時、キリストの愛が迫ってくる。私たちが認めようが認めまいが、人間は自分で生きているのではなく、神によって造られ生かされている。それゆえに、人間は神の創造の目的に応えて、神の栄光のために生きる責任がある。しかしながら、私たちは神の栄光ではなく、自分の栄光を求め、自分の生活だけに終始して生きていた。神に対して的外れな生き方をしていた(「罪」の原語は「まと外れ」)。
 私たちは神から責任を問われ、罪のために神に裁かれ、死んで捨てられるべき人間であった。しかし、的外れな生き方をして罪を犯しているすべての人間のために、キリストは代わって死んでくださったのである。そして、その死によって罪の裁きから解放し、神との和解の道を開いてくださった。キリストは「すべての人のために死んでくださった」(14節)。しかし、その死が私のためであったと分かる時に、キリストの愛が迫って来る。その愛に駆り立てられて、私たちは神の意志にかなう人生を生きようと決心する。こうして、私たちのうちに神との新しい関係が創造される。キリストの愛に身を置いて生きる私たちは、楽なところに身を置こうと考えるのでなく、神のために困難を引き受けていこうと決心するようになる。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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