あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。
コリントの信徒への手紙一11章26節
主イエスは私たちを神と和解させるために、その死をもって罪の贖いをなし、天の国への門を開いてくださった。主はご自分が死をもって勝ち取られた救いを私たちに与えるために、「主の晩餐」を用意して招かれる。パンは十字架で裂かれた主の体であり、ぶどう酒は十字架で流された主の血である。このパンを食べ、この杯から飲む者は、主によって罪を贖われた者であり、永遠の命を約束された者である。
主イエスは「わたしの記念として」行えと言われた。「わたしのしたこと」でなく、「わたし自身」を覚えよと言う。ゆえに「主の晩餐」において、私たちは主イエスの歴史上の業を思い出すよりも、今ここに私たちを招き、霊の食物で養い、救いを確信させてくださる主の臨在を覚える。
今日の聖句に「主が来られるときまで」とあるように、「主の晩餐」は、やがて主と「顔と顔とを合わせて」お会いする日に向かって、食べ、飲む食事である。天の国に向かう人生途上の食事である。私たちは天の国が来る時、罪をまったく贖われた復活の体を着て、主とお会いするという希望と喜びをもって「主の晩餐」にあずかる。
この世界をすべて新しくする神の計画は、旧約の時代から啓示されたが、神の国を成就する神の業は、主イエス・キリストの到来によって始まった。神はキリストの死と復活の福音によって、信じる者を罪から贖い、ご自分の民として世界に遣わし、救いの業を進められる。キリスト者は「主が来られる時まで、主の死を告げ知らせる」神の民である。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
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この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。