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主日礼拝宣教要旨

「純真な心に宿る神の愛」朴 思郁 牧師

2024年11月12日(日)
主日礼拝宣教要旨
マルコによる福音書10章13-16節

「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」

マルコによる福音書 10章15節

 本日の礼拝は、教会の宝である「子どもたちを覚える礼拝」として、マルコ福音書10章13-16節から「純真な心に宿る神の愛」について共に考えたいと思います。子どもたちの純真な信仰は、現代社会を生きる私たちに大切なことを思い起こさせてくれます。イエス様は「子どものように神の国を受け入れる」ことの大切さを私たちに教えられました。この教えは現代を生きる私たちに、三つの重要な視点を示してくれています。
 第一に、神に対する純真な信頼についてです。私たちは日常的に効率や成果を重視しがちですが、信仰生活においてはそうした打算的な考えを脇に置き、ただ信じて神に委ねる姿勢が求められています。私が30代後半で牧師に就任した際、ある80代の教会員との経験からこのことを深く学びました。宣教題の看板書きを担当されていた方が「大変だから辞めたい」とおっしゃった時、私は効率的な代替案を考えましたが、後にその方の「本当は続けたい」という思いを知り、この奉仕が深い信仰と結びついていることに気づかされました。効率を優先する考えよりも、相手の心に寄り添う純真な心こそが教会の基盤となるのです。
 第二に、教会を支えるプラス思考の重要性です。高齢化や若年層の減少など、様々な課題に直面する中で、私たちはつい制約や困難に目を向けがちです。しかし、イエス様が示された純真な心とは、今ある状況を神の恵みとして受け入れ、今いる教会員一人ひとりを大切にする姿勢です。過去の基準に囚われることなく、与えられている恵みを基に、新しい可能性を探っていく柔軟さが求められています。どんなに小さな群れでも、神の愛と祝福に満たされる教会の働きは必ず実現されるのです。
 第三に、地域社会への奉仕についてです。純真な心は、教会の枠を超えて地域のニーズにも目を向けるよう私たちを導きます。教会が地域に存在する意味は、ただの生き残りではなく、今あるもので地域に貢献し、神様に用いられることにあります。麦茶の提供や休憩スペースの設置、必要な衣類や食料の提供など、小さな行動を通じても確かに神の愛を伝えることができます。また、地域の賛同者との協力によって、さらに大きな助け合いの輪を広げることも可能です。
 これからも神様に全てを委ね、喜びをもって互いに支え合い、地域に神の愛を伝える者として歩んでまいりましょう。純真な心をもって、共に励まし合いながら、神様の導きを信じて歩んでいきたいと思います。

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