西川口キリスト教会 協力牧師 朴 思郁
「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています」(コリント第二4:7)。
安部公房さんが1962年に書いた小説、「砂の女」は近代日本文学の傑作と言われます。小説は、東京から昆虫採集に出かけた一人の男が砂丘にある集落に入るところから始まります。そして彼は、一瞬にして村の女と深い砂穴の底の家へ閉じ込められます。村人全員が社会からの孤立を望んで、縄梯子がなければ出入りができない、物質も配給制であるその村は、いきなり閉じ込められた主人公の男にとっては不条理そのものの世界でした。
男はなんとしてでもそこから抜け出そうとして、様々な方法で脱出を試みますが、そのつど失敗に終わってしまいます。最後は集落から逃げることができるにも、そのまま砂掻き生活の運命を自ら引き受けるという物語です。様々な不条理の中で生きていながら、不条理に立ち向かうどころか、いつの間にかそれらに馴染んでしまい、逃げられない運命であるかのように不条理を生きている、あたかも私たち人間のおかれている実存そのものが生々しく描かれている作品であると思われます。
使徒パウロは、「四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」と、自分のおかれている状況を描いています。彼はどんな状況を想定していたのかは詳しく書いていませんが、コリント第一4:9-13、コリント第二6:3-10などを参照すると、まさしく思いもよらない種々の不条理な出来事に遭遇しながら、苦しみ悶えていたに違いないのです。
しかし彼は不条理を生き抜く秘訣を次のように言います。「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために」(10節)。ご自分の身をもって、不条理の極みである十字架の苦難と死を経験された主イエスの死と復活は、不条理の中におかれている私たち人間に生きる希望を示しているというパウロならではの「主告白」です。主に信頼して歩むこと、それこそ不条理を生き抜く力なのです。