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主日礼拝宣教要旨

「揺るがぬ信仰」朴 思郁 牧師

2025年4月6日(日)
主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所 ヘブライ人への手紙 11章1-6 節

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」

ヘブライ人への手紙 11章1節

 2025年度の歩みが始まる今日、私たちはあらためて、自分たちの信仰の土台を見つめ直し、神の導きに信頼して歩み始めたいと願います。同時に受難節第5週を迎えている今、新年度を迎えることには、深い意味があると感じます。主の歩みに倣い、私たちもまた、信仰の道を新たに踏み出してまいりましょう。
 信仰の本質を考える上で、映画『教皇選挙』(原題:コンクラーベ)に登場するローレンス枢機卿の言葉が示唆に富んでいます。彼は、「確信すること、それ自体が罪である。疑いを抱くからこそ、私たちは本当に信仰を必要とするのです」と語ります。確信だけで進むなら、不可解なものはすべて排除され、「信仰」は不要になります。けれども、聖書が語る信仰とは、すべてを分かってから信じることではなく、分からないままに信じ、見えないものの中に神の御業を見出していく歩みです。真の「信仰の確立」とは、絶対的な確信や頑なさを持つことではなく、自分の限界を認めつつも、なお神を信頼して歩むプロセスに他なりません。
 ヘブライ人への手紙11章1節は、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること」と語ります。ここには、信仰とは何か、その核心が端的に示されています。「望んでいる事柄を確信する」とは、神の約束に根ざした希望を、すでに与えられたものとして受け止め、今を生きること。「見えない事実を確認する」とは、目には見えなくても、神の存在と働きを確かな現実として信じることです。
 ヘブライ11章6節はこう語ります。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」。ここには、信仰が単なる内面の確信ではなく、神との関係そのものであることが明らかにされています。信仰とは、神の存在を信じること、そして神が求める者に報いてくださることを信じることです。
 この御言葉に照らされながら、私たちは新年度を迎えるにあたり、三つの信仰の姿勢を心に刻みたいと思います。第一に、神の約束を信じて歩む信仰です。先の見えない未来の中でも、神の御言葉を頼りに一歩を踏み出していく、そのような信仰の姿勢が求められています。第二に、試練の中でも揺るがぬ信仰です。信仰の道はいつも平坦というわけでははありません。むしろ困難の中でこそ、信仰は試され、鍛えられ、より深められていくのです。第三に、神に喜ばれる信仰です。神が生きておられ、共にいてくださること、そしてご自身を求める者に必ず報いてくださることを信じて歩むとき、神はその信仰を喜んでくださいます。
 この一年、私たち一人ひとりが神の御言葉にしっかりと立ち、揺るがぬ信仰を保ちつつ、イエス・キリストの十字架と復活に希望を見いだしながら、共に信仰の道を歩んでまいりましょう。

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