11月29日
光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。
ヨハネによる福音書12章36節
主イエスは死を前にして「わたしは心騒ぐ」(27節)と言った。なぜ主は死を恐れたのか。死を恐れないで往生する者こそ偉大な宗教家ではないのか。人間は死の本質を知らない。しかし、「わたしと父とは一つである」(10:30)と言われる主イエスは、罪人の死が神との断絶であることを知るゆえに、罪人に代わって受ける死を前にして恐れ悩まれた。
神は人間が神の言葉に応答して生きることを求める。もし神の意思を無視して自己本位に生きているならば、その人は神の前では失われた者、「暗闇の中を歩く者」である。その人は神の義が現われる終わりの日が来る時、永遠に失われる。しかし、神が世に遣わされた御子イエスは、神の義と愛を示して、人々が神のもとに立ち帰るためにご自分の力を注いだ。その働きの目指すところは、悔い改める者たちが無条件に神に赦され、神に受け入れられるための贖いの死であった。主イエスは「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」(32節)と言う。主は死を前にして恐れ悩みつつも、「わたしはまさにこの時のために来たのだ」(27節)と言い、「父よ、御名の栄光を現わしてください」(28節)と祈って、十字架の死を引き受けられた。主イエスの贖いの死によって、罪を裁く神の義と罪人を救う神の愛は全うされた。
今日の聖句は、神の前に失われた者を見出すご自分の働きと死を示しつつ、救いの光があるうちに、つまり、終わりの日が来ないうちに、「わたしを信じ、光の子となりなさい」と呼びかける主の言葉である。光の子とは、主の言葉に応えて神のもとに立ち帰り、神の義と愛の光を映し出す人のことである。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。