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朗読 『一日の発見 365日の黙想』11月22日

11月22日

わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは、羊のために命を捨てる。

ヨハネによる福音書10章11節

 パレスチナの厳しい荒野で、弱い動物と言われる羊がよく生きることができるのは、いつも羊に付き添っている羊飼いがいるからである。
 今日の聖句のように、主イエスはご自分を羊飼いにたとえて、「良い羊飼いは、羊のために命を捨てる」と言い、それはご自分に与えられた「父から受けたおきてである」(18節)と言う。主イエスが十字架で命を捨てるのは、父なる神の意志であると言われたのである。なぜ主イエスの死が神の意思なのか。
 神は人を「神と向き合う者」として創造し、歩むべきおきて(十戒)を人に示した。しかし、人は神に背を向け、神が求める道を踏みはずして罪を犯している。神はイスラエルの預言者たちを通して、罪を憎む神の義と、罪を悔い改める者にはゆるしを与える神の慈しみを語り続けた。神は義なる方であるが、人が罪によって滅びるのを望まないのである。
 神は人を救うために、その罪を自らが引き受ける決意をされた。これが義と愛の両方を貫く神の意志であり、計画である。神は預言者たちを通して神の意志と計画を示し、時が満ちたとき、御子みこイエスを世につかわされた。御子みこイエスは父なる神の意志と計画に従い、人の罪とその裁きをご自分の身に引き受け、命を捨てて罪のあがないとなられた。
 罪のあがないなしに、神と共にある永遠の命はない。しかし、罪のあがないのために、神の御子みこイエスが命を捨ててくださったので、私たちは命を得たのである。「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」(10節)。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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