11月21日
あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。
ヨハネによる福音書9章37節
主イエスは生まれつき目の見えない人を癒した。それは安息日であった。ユダヤでは、安息日は神の前に憩う日として、律法によって一切の労働を禁じられた。律法を守らない者は罪人と断定され、会堂、すなわちユダヤ人社会から追放された。安息日に癒しの業をした主イエスは神の冒涜者とみなされた。また、主イエスをメシアと信じる者も会堂から追放された。
主イエスをどう思うかと尋問された両親は、ユダヤの指導者を恐れて「本人にお聞きください」と言った。いやされた人は答えた。「あの方が罪人かどうか、私には分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかった私が、今は見えるということです」。この答えによって彼は追放された。
しかし、主は彼を一人のままにされない。彼のところに来て、「あなたは人の子を信じるか」と語りかけた。彼が「主よ、その方はどんな人ですか」と問うと、主イエスは今日の聖句を語った。彼が主イエスを知る前から、主は彼に目を留めておられた。彼は「主よ、信じます」と言って、主の前にひざまずいた。「イエスは主である」という信仰によって、彼は一人になっても生きることができる。主イエスを信じる者は、たとい一人になっても、共にいてくださる主イエスを知るからである。人との交わりは大切である。しかし、孤独を恐れて、人と群れたり、人に寄りかかる者は、良い交わりを持つことはできない。一人でいることのできる者が、人の言動や周囲の情勢に左右されない自立した精神をもって、真に人との交わりを持つことができる。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。