11月19日
あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。
ヨハネによる福音書8章32節
今日の聖句は、日本でも大学や図書館の標語とされるほど有名である。その場合は、学問や研究によって習得される真理は人間を無知や偏見から解放し、自由にするという意味であろう。しかし、主イエスが語られた「真理」はそれ以上のことである。
まず主イエスは、「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である」(31節)と言う。主の言葉にとどまるとは、いつも主の言葉を聞き、主の愛と真実に信頼して、主に従うことである。主イエスは「わたしの言葉にとどまる」者は弟子であり、「真理を知る」と言う。真理を知るとは、神を知ることである。主イエスの言葉にとどまる弟子は、知識としてではなく、身をもって愛と真実の神を知る。
「真理は自由にする」。弟子は主イエスによって罪から自由にされる。本来、愛に生きるようにと造られた私たちは、むさぼり、悪意、ねたみ、殺意などの罪に捉われている人間である。しかし、主の言葉にとどまる弟子は、もはや罪の子ではなく、罪と戦う神の子である。「あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい」(ガラテヤ5:13)。
また、弟子は主イエスによって、この世の捉われから自由にされる。私たちは弱い人間であり、苦しみが襲えば動転し、他人の言動に振り回される不自由な人間である。しかし、主の言葉にとどまるならば、主イエスが共におられるという信仰と、真実と愛であられる神への信頼が強められ、さまざまな捉われから自由にされるのである。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。