11月7日
わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。
ヨハネによる福音書 4章35節
人目を避けて水を汲みに来た婦人は、主イエスによってその渇いた魂を癒された時、水がめを放り出して町に走った。人々に主イエスのことを話すためである。彼女の話を聞いた人々が町から主イエスのもとにやって来た。その様子を見て、主は弟子たちに今日の聖句を語った。
「目を上げて」とは、目を天に向けることである。主イエスは、「信仰の目をもって魂の世界を見なさい、そうすれば色づいて刈り入れを待っている魂の多いことが分かる」と言う。周囲の人々は一見満ち足りていて、福音を必要としないように見える。しかし、信仰の目で見るならば、人々の魂は渇いていて救いを待っているというのである。人間にとって衣食住は大切であるが、それ以上に、神に愛され、神の愛に応える人生でないと、人間の魂は満たされない。
教会は神が備えられた神の家である。神に愛されて、神の愛に応える神の家族である。私たちの魂はここで生きた水を汲み、新たに生きる力を与えられる。そして、ここから主によって人々のところに遣わされる。
主イエスは「一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる」と言う。蒔くとは神の福音を宣べ伝える働きであり、刈るとは救われた魂を神の家に迎える働きである。種を蒔く人は自分でその実を刈り取らなくても、失望しない。だれかが刈り入れるという希望をもって蒔くからである。また、刈る人はだれかが蒔いたものを、今刈り入れているのだと感謝して刈る。目を天に向ける者は「種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶ」。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。