11月5日
この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。
ヨハネによる福音書4章13~14節
日差しの強い真昼、主イエスは旅の疲れを覚えて、サマリアの町シカルの井戸端で休んでいた。そこに人目を避けるように一人の婦人が水を汲みにやって来た。主イエスは彼女に一杯の水を乞うた。ところが、彼女の返事は甚だ無愛想である。主は彼女の渇いた心に話しかけた。しかし、彼女は「何を偉そうに言うか」と軽蔑した口調で受け答える。普通の人なら、こんな人との関わりを絶つところであるが、主は彼女に「生きた水」を与えようと、愛をこめて今日の聖句を語った。
暑い時は何度水を飲んでも、すぐに喉が渇く。私たちが心の渇きを満たそうとして求める人の愛も、富、名誉、快楽も、この水と同じである。主イエスは「あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言って、彼女が持っている問題の核心を衝いた。ニヒルで荒んだ心の原因が、すぐに涸れてしまう愛にあることを彼女に気づかせるためである。主との対話によって、彼女は「この水を飲むものは、また渇く」自分の現実に気づかされ、神の救いを求め、メシアについて問うた。そこで主イエスは、「あなたと話をしているこのわたし」がメシアであると宣言した。主の言葉を聞いた時、彼女は今まで自分にかかわり続けてくださった方がだれかを知った。彼女は反抗的な罪深さも、人知れず流した涙も、すべてを知っていて、見放さずに自分にかかわり続ける救い主に出会ったのである。主に愛されている自分を知った彼女は、今まで避けていた人々の中に出て行った。心を落ち込ませることの多い現実であっても、この愛があれば、だれでも前向きに生きることができる。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
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この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。