ようこそ西川口キリスト教会のホームページへ

地域と共に歩む桜並木の教会

教会員ページ

朗読 『一日の発見 365日の黙想』11月3日

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

ヨハネによる福音書3章16節

 社会の悲しい事件の背後には愛の喪失がある。愛されること、愛することを願いながら、そのことがかなえられないために、人は自己本位になり、自暴自棄じぼうじきにすらなる。人はだれでも愛されて、愛するようになる。
 今日の聖句は、そのような私たちの現実にかかわってくださる神の愛を告げる言葉である。神の愛は人間が考えだした愛ではない。歴史に生きた主イエスによって現われた愛である。主イエスは神が支配する神の国の福音をべ伝え、見捨てられた人々の友となり、自分の正しさを主張して他者を愛せない人々に悔い改めを求めた。主イエスの言葉とわざは人々を神の国に招く神の真実と愛に貫かれていた。しかし、人々は主イエスを十字架につけて殺し、神さえも抹殺する人間の罪をあらわにしたのである。主は十字架の上で、「父よ、彼らをおゆるしください」(ルカ23:34)と祈り、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(マルコ15:34)と叫んで死んだ。ここに罪人をみもとに招いてやまない愛の神がおられる。ここに罪人に寄り添ってくださる神がおられる。
 神は主イエスを死から復活させて、信じる者を罪から救う主とされた。それは、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(16節)。神は罪人が一人も滅びることを願わない。主イエスを信じる者に与えられる「永遠の命」とは、主に現われた神の真実と愛によって生かされる命である。神の真実と愛に生かされて、私たちは自己本位の罪から解放され、他者を愛する者に変えられる。愛し合うことを願いながら、傷つけ合っている私たちが神の御心みこころに適う者に変えられる。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

PAGE TOP