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地域と共に歩む桜並木の教会

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朗読 『一日の発見 365日の黙想』9月5日

9月5日


なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。     
                  ルカによる福音書22章46節

 主イエスは弟子たちを伴って、オリーブ山で「いつものように」(39節)、「いつもの場所」(40節)で祈られた。主イエスは地上の生涯において絶えず父なる神に祈られた。

 地上の生涯の最後の夜、主イエスは「父よ、御心みこころなら、このさかずきをわたしから取りのけてください」(42節)と、苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。その時、汗が血のしたたるように地面に落ちた。主の十字架の苦しみは、私たち人間が決してあずかり知ることのできない苦しみである。それは人々の手による処刑の苦しみだけではなかった。「十字架の杯」は、神に裁かれ、神に見捨てられる苦しみである。私たちは神の裁きの恐ろしさを知らない。神の御子みこは知っているので、かくも苦しまれた。主は私たちのために、私たちに代わって裁かれ、神に捨てられた。「わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた」(イザヤ53:6)罪なきしもべによって罪人を救うことは、預言者によって語られた神の御心みこころである。しもべとなられた神の御子みこイエスは血のにじむ祈りによって、神の御心みこころをなしげられた。「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ」(ヘブライ5:7)た。私たちは主が御心みこころをなし遂げるために、主なる神に捧げた激しい祈りを忘れてはならない。主イエスが弟子たちに語った今日の聖句は、神の御心みこころを行うために、祈りによって悪魔の誘惑と戦ったご自分の生活に基づく私たちへの勧めである。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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