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朗読 『一日の発見 365日の黙想』8月22日

8月22日

見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、「無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください」と言うであろう。 

 

ルカによる福音書 15章9 


 主イエスは罪人と食事を一緒にするご自分の行動を、三つのたとえによって、失われた者を捜し回り、その一人を見つけると喜ぶ神の姿として語った。 
 第二の譬えによって、主イエスはご自分を、無くした一枚のドラクメ銀貨を、ともし火をつけ家をき、見つけるまで念を入れてさがす女の人にたとえる。私たちは失われた銀貨のように、自分では神のもとに立ち帰ることができないので、主イエスは私たちが立ち帰れるように、み言葉を語り、罪のゆるしを宣言し、愛を込めて導いてくださる。神の前から失われた私たちであるが、この私を見出すために、神は御子みこイエスを世に遣わしてくださった。ここに愛がある。大切なことは、探し回り、見出してくださる神の愛に自分を委ねることである。
 教会は、主イエスに見出された者たちの集まりである。「今は神を知っている。いや、むしろ神に知られている」(ガラテヤ4:9)ので、私たちはどんな時にも心強い。また教会は、神が失われた者を捜し求めて働いておられるところである。その働きのために、神は先に見出した私たちを用いられる。そして、失われた一人が見出されると、主は今日の聖句のように、「一緒に喜んでください」と言う。「神の国」は、失われた罪人を見出した神の喜びを共にするところである。「悔い改める一人の罪人」を迎えて喜んでいる神の国が天において始まっている。教会は神の喜びを共に喜ぶ「神の国」の先取りの場所である。主イエスが一緒におられるところに神の国が始まっている。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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