これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け。
ルカによる福音書 9章35節
主イエスは祈るために、弟子たちを伴って高い山に登った。山の上で、弟子たちは栄光に輝く主イエスと、主の受難について語るモーセとエリヤを見た。そして、雲の中から聞こえる今日の聖句を聞いた。神は物言わぬ神ではなく、語る神である。神は多くの仕方で語られるが、今は、「これに聞け」と、主イエスを通して語られる。「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました」(ヘブライ1:1~2)。人間は神の言葉を聞いて、生きる意味を知り、虚無から救われて、真に生きるようになる。語りかける神の言葉を聞かず、ただ働きまわるだけの人間は、その体と魂を消耗するだけである。
中米奥地に向かう発掘調査団が荷物の携行のために、現地人を雇った。旅程は日程表通りに進んだ。ところが、ある日突然、現地人は地べたに座りこみ、調査団が賃金アップを提案しても、脅しても、荷物を担ごうとしない。後日、彼らはこう答えた。「はじめの歩みが速すぎたのでね。わしらの魂が後から追いつくのを待っておらねばならなかった」(ミヒャエル・エンデ「モモからのメッセージ」)。
今日の社会のさまざまなひずみは、私たちが物質文明の発展を追いかけて、魂を置き忘れたからではないか。「主の日」の礼拝は、私たちが神の言葉を聞いて、魂を取り戻す日である。私たちは「主の日」ごとに高い山に登り、神の言葉を聞いて魂を取り戻す。そして、神の恵みと力とを受けて山を降り、御心を行うために、日々の生活の場所に遣わされて行く。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。