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朗読 『一日の発見 365日の黙想』8月6日

8月6日

行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。

ルカによる福音書 7章22節

 

 バプテスマのヨハネは主イエスを指して、神がその到来を約束していたメシアであると語った。そして、「その方は、聖霊と火であなたたちにバプテスマをお授けになる。そして、手にを持って、脱穀場だっこくばを隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる」(3:16~17)と語った。しかし、ヨハネの期待に反して、主イエスはいつまで経っても、悪しき人間を裁き、ゆがんだ社会を変革して、神の国(支配)を実現することをしない。ヨハネは獄に捕らえられ、依然としてヘロデは権力を振るっている。ヨハネはあせった。ヨハネは弟子たちを主イエスのもとに遣わして、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」(20節)と尋ねさせた。その時、主イエスは今日の聖句を語り、「わたしにつまずかない人は幸いである」(23節)と言った。  
 主イエスによって到来した神の国は、神の裁きによる大々的な破局や変革ではなく、多くの人に隠された方法で現れた。それは、貧しい人たちや小さくされた人たちが、主イエスの福音によって神の愛と恵みの光を浴び、暗い世にあっても、神を信じ、希望を抱いて生きる者となる国である。貧しい人や小さくされた人を顧み、御許みもとに招き、共にいてくださる神の国が、主イエスによって始まった。それは私たちの目には小さくて、ヨハネのように見過ごしてしまいそうであるが、私たちが貧しくされ、小さくされる時にそれを見いだす。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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