人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。
コリントの信徒への手紙一 7章7節
コリント教会では、キリスト教の倫理について意見が混乱していた。その一つが、結婚、独身、離婚についてであった。これに答えるパウロの結婚観は主イエスの教えに基づいている。結婚は一夫一婦であり、夫と妻は平等で、各々の役割を担い合うパートナーである。主イエスの教えは当時の社会において革新的であり、今日の人権思想の源流である。
しかし、パウロは結婚を絶対化しない。主に仕えるためには自分のように独身のほうがよいとさえ言う。結婚も独身も神の賜物であり、人によって生き方が違ってよい。また、夫婦は信仰者であることが望ましいという理由で、未信者の夫や妻と離縁しようとすることに、彼は反対する。一人の信者を通して家族に救いと祝福がもたらされるからである。ただし、パウロは自分の考えと断わった上で、「信者でない相手が離れていくなら、去るに任せなさい」(15節)と言う。その理由は、「平和な生活を送るようにと、神はあなたがたを召された」からである。平和な生活とは神の国に生かされる平和であり、これはだれからも妨げられてはならない。
キリスト教の倫理は、信仰者を同じ形にはめ込もうとして、はみ出す者を裁く律法主義ではない。主イエスが離婚を戒めるのは、「あなたがた夫婦は神に結び合わされた」という神の祝福に基づいている。キリスト教の倫理は、神の国の祝福に生きる倫理である。それゆえに、神の国の祝福に生きるという視点から、パウロが言うように、離婚も状況によって起こりうる、ゆるされる事柄である。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
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この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。