皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。
コリントの信徒への手紙一 1章10節
コリント教会はパウロの伝道によって設立されたが、彼が離れた後、諸問題が起った。その一つが「わたしはパウロにつく」、「わたしはアポロに」、「わたしはケファに」という分派争いであった。パウロは「ねたみや争いが絶えないのは、あなたがたが肉の人(信仰のない人間)に逆戻りしているからではないか」(3:3)と問いかけ、今日の聖句をもって勧告した。
キリストは世がご自分を信じるようになるために、信徒たちが「一つとなる」ようにと御父に祈られた(ヨハネ福音書17章)。教会の一致は、福音を世に宣教する証しである。
キリスト信徒であっても、個性は違い、多様である。何が信徒たちを結び合わせ、一つにするのか。冒頭の「固く結び合う」という同じ言葉が、エフェソ4章12節には、キリストが教会に使徒、預言者、福音宣教者、牧者、教師というみ言葉に仕える者を与え、信徒たちを「奉仕に適した者とする」とある。神の言葉が信徒たちを固く結び合わせ、共に主に仕える者に整えるのである。それゆえに、教会は神の言葉を語ってくれる奉仕者を必要とする。
神の言葉の中心は「十字架の言葉」である。教会は十字架の言葉、言い換えれば、キリストの贖いの恵みにあずかって結ばれた信徒の共同体である。「主の晩餐」は、教会がこの恵みに立つようにと、キリストによって制定された礼典である。信徒たちが説教と礼典にあずかり、神の贖いの恵みに養われることによって、固く結ばれ、教会は形成される。教会とは、御言葉が正しく語られ、正しく聞かれ、礼典が正しく行われるところである。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。