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朗読 『一日の発見 365日の黙想』6月1日

6月1日

人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。


マルコによる福音書 14章21節

 

 弟子のユダが主イエスを裏切った。ユダもまた、他の弟子たちと同じように、主イエスをメシアと信じ、イスラエルを復興する王と期待して、従った。しかし、主イエスを取りまく状況が悪化した時、彼は主に従うことに見切りをつけ、主を引き渡した。私たちはユダだけが特別に罪を犯したと考えてはならない。私たちは皆、自分の願望や期待に応える神は歓迎するが、そうでないと分かると、ユダのように捨てる。神に従うのではなく、自分たちの願望や期待に神を従わせる。ここに、私たちの罪がある。罪とは、神との正しい関係を損なっていることである。
 十字架の死を前にして、主イエスは弟子たちと過越の食事を守った。この食事によって、主はご自分の死を過越の成就、すべての人の罪のあがなう神の小羊として示した。すなわち、罪人を裁く神の義を超えて、すべての人の罪をゆるす神の恵みを指し示した。
 「人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く」と今日の聖句が語るように、主イエスの死は神のご計画であった。それでは、ユダの裏切りも神の計画だったのか。否、「人の子を裏切るその者は不幸だ」(21節)と主は言う。ユダもまた、罪のあがないの恵みを指し示す「主の晩餐」に招かれている。彼が罪を告白して、主に自分を明け渡すなら、その罪は主イエスのあがないの恵みによって覆われる。しかし、ユダはそうしなかった。自分の罪に気づいて絶望した時、彼は主のもとに行かず、絶望のうちに死んだ。神は彼に対しても最後まで恵み深かったが、彼は絶望した自分の殻の中に閉じこもった。絶望は「死に至る病」である。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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