天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。
マルコによる福音書 13章31節
主イエスは、今の天地は永遠に続くのではない、終わりが来る、その時、「人の子が大いなる力と栄光を帯びて」現われ、選ばれた人たちを呼び集める、と言った。終わりの時は新しい世界の始まりである。その時、主イエスを信じて、待ち望んでいた人たちは、主を「見る」のである。今私たちは私たちを救い、持ち運んでくださる主イエスを信仰の目で見ている。だが、それは「鏡におぼろに映ったものを見ている」と言わざるを得ないのが実状である。しかし、その時には、「顔と顔とを合わせて見る」(Ⅰコリント13:12)。終わりの時は、万物が更新される新天新地の始まりである。
冒頭の「わたしの言葉」とは、ご自分の血をもって私たちの罪を赦し、神と和解させてくださる主イエスの福音である。私たちは十字架の死によって私たちの罪を贖い、復活して「あなたの罪は赦された」と語ってくださる主の言葉を信じて、終わりの日は神の裁きの日ではなく、救いの日に変えられた。世の終わりも、死も、もはや恐れではない。「終わりの日」は、私たちの救いが成就する喜びの時である。
主イエスは「終わりの日」を、木々が枯れてゆく冬ではなく、木々の葉が繁り、新しい命がみなぎる夏に譬えて、「夏が近づいている」と言う。主はこの譬えによって、私たちが「終わりの日」を暗い気持ちで待つのではなく、新しい命がみなぎる「主の日」として待ち望むようにと語られた。そして、繰り返し、「目を覚ましていなさい」と言われる。私たちは神に遣わされた場所で、各々の仕事に従事するのであるが、これに埋没して「主の日」を忘れることがないように、目を覚ましていなければならない。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。