神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。
マルコによる福音書12章27節
当時、ユダヤ教のサドカイ派は「復活はない」と主張した。彼らはユダヤの上流階級に属し、現実主義者であった。彼らは復活が馬鹿げていることを示す例を出して、主イエスに問うた。主は彼らに「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ」と答えた。さらに、「あなたたちは天と地を造られた神の力を見損なっている」と言った。復活の信仰は創造者である神の力を信じることにかかっている。主イエスは「死者の中から復活する時」があると明言し、復活の世界は今の世界の延長ではなく、「天使のようになるのだ」と言う。体も生活の仕組みも全く改まる新しい世界であるから、復活の世界をこの世の情景から類推することは間違っているのである。
そして主イエスは、神が「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と言ったモーセの書を引いて、今日の聖句を語った。見えない神を信じ、神の言葉に従って生き、そして死んだアブラハムは、神の前に生きている。神は「わたしはアブラハムの神であった」と言わず、「である」という。神は死んだアブラハムの神ではなく、生きているアブラハムの神として、ご自身を啓示された。アブラハムのように、神に愛され、神を愛して生きた者は、たとい死んでも、神の前に生きるのである。神との関係は永遠であり、死によっても断ち切られない。大事なことは、復活の時にどうなるかではなく、今、神を愛し、神に愛される関係に身を置いて生きることである。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
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この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。