天を仰いで深く息をつき、その人に向かって「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。
マルコによる福音書 7章34節
耳が聞こえず舌の回らない人が、主イエスのもとに連れて来られた。言語障害のために人と言葉を十分に交わせないことは、なんと孤独であろう。自分の言葉が相手に通じない時、私たちは孤独である。
主イエスはこの人を群衆の中から連れ出し、一対一で向き合われた。そして、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。これは「おまじない」ではない。主イエスは彼の体に触れて、この人の苦しみをご自分の苦しみとされたのである。「彼は、わたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」(マタイ8:17)。それから、主は「天を仰いで、深く息をつき」、この人のために父なる神に執り成し、祈られた。「深く息をつき」とは、人の病を担う主イエスの「うめき」である。主は今も、私たちのために「言葉に表せないうめきをもって」執り成してくださる聖霊の主である(ローマ8:26)。病める患部に手を置いて執り成す聖霊の主が、私たちの病を癒し、神との間に、そして人との間に交わりを築いてくださる。
今、主イエスは、この男にしたように、私たちを群衆から引き離してご自分に向き合わせる。そして、「エッファタ」と言って、私たちの聞く耳を開いてくださる。その時、私たちは何よりも先ず、主イエスの言葉を聴くようになる。主の言葉は人間関係を損なう私たちの病を癒し、また、他者から受けた傷を癒す。その結果、私たちの舌は主に感謝し、主と語らうようになる。孤独と惨めさをかこっていた私たちは自由にされる。一対一で主に向き合うことが、他者との交わりを築く土台である。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
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この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。