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朗読 『一日の発見 365日の黙想』3月27日

3月27日

ただキリスト・イエスによるあがないの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。

ローマの信徒への手紙3章24節


 

 今日の聖句は、神に背いて罪を犯している私たちを、神がどのようにして義とされるのかを端的に語る。
 第一に、神が世に遣わした御子みこイエス・キリストは、私たちと同じ姿となり、私たちの罪を負って十字架の裁きを受けてくださった。この「キリスト・イエスによるあがないの業を通して」だけ、私たちは罪をゆるされて、神の前に義とされる。
 第二に、御子みこイエス・キリストによる罪のあがないによって私たちの罪をゆるす神の恵みは、「無償で」である。私たちは何も払わないでよいのである。否、私たちには払えないのである。私たちが無償で神に義とされるのは、実に、御子みこの命がかかった「高価な恵み」である。
 第三に、私たちを義とする神の恵みは、「イエス・キリストを信じることにより」(22節)、私たちの内に実現する。信仰とは、神が御子みこイエス・キリストによって成し遂げた救いを、ただ感謝して受け入れることである。神の救いはすべての者に及ぶが、信仰によって受け入れなければ、罪人を義とする神の恵みは私たちの内に実を結ばない。
 神は御子みこイエス・キリストによって、「恐れるな、わたしはあなたをあがなう。あなたはわたしのもの」(イザヤ43:1)と神の愛を語ってくださった。もはや罪も死も、あらゆる苦難も、この神の愛から私たちを引き離すことはない。神に義とされ、愛されている私たちは、神の愛に応えて、精一杯、神の栄光のために生きることを心がける。神を礼拝し、み言葉に聞き、祈り、神に喜ばれる生活を確立してゆく。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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