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朗読 『一日の発見 365日の黙想』3月26日

3月26日

正しい者はいない。一人もいない。・・・・・彼らの目には神への畏れがない。

ローマの信徒への手紙3章10、18節


 パウロはすべての人間が罪の下にあることを、冒頭の旧約聖書の言葉によって示す。これは詩編十四編の引用で、「主は天から人の子らを見渡して」という前文がある。人間の目から見れば善人と悪人の区別はあっても、神の目から見れば区別はないと言う。聖書が言う「罪」とは、個々の罪悪や犯罪のことだけではない。人間が神の栄光を現わす者として創造されたのに、神をあなどり、自分勝手な道を歩んで、神との関係を踏み外していることである。人間が「平和の道を知らず」(17節)、社会に「破壊と悲惨がある」(16節)のは、詰まるところ、「神への畏れがない」(18節)罪に起因していると聖書は言う。

 会社ぐるみの不正事件で、社員が「いつかはばれるだろうという恐れはあった」と答えていた。これは犯罪がばれて社会の制裁を受ける恐れであって、悪を行う自分が恐ろしいのではない。しかし、神は侮られる方ではない。人の目をごまかし、その場をしのげても、神の裁きを免れることはできない。神は聖書を通し、また良心を通して、戒めを与えておられるので、神の裁きの日には「すべての人の口がふさがれ」(19節)るほかないのである。病人が医者の診断によって自分の病を知り、放っておけば死んでしまうと分かれば、真剣に治療を求めるように、自分の罪を示されたならば、罪のゆるしと癒しを求めて神の前に出なければならない。「人の前で話すことが出来る自分の考えとか、思想によって、私たちは神にお会いすることはできないのです。人にも言えない、自分だけが悩んでいる、また恥じている、そこでしか神にお会いできないのです」(森有正)。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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