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朗読 『一日の発見 365日の黙想』3月25日

3月25日

人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。

ローマの信徒への手紙3章4節


 人間が神を信じない理由として、神の真実が分からないということがある。「神は人間の罪を裁くというが、罪を犯すように造った神こそ責任がある」、「私をこんな苦しい目にわせる神は真実な神ではない」と。神が自分の思い通りの神なら良いが、思い通りの神でないと、神は真実でないと言って神への不信を表わすのは、人間の常である。
これに対して、パウロは今日の聖句を語る。パウロがこのように言えたのは、主イエスの十字架に神の真実が啓示されているのを信じたからである。十字架にかけられる前夜、主は弟子たちに杯をまわして、「これは、罪がゆるされるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(マタイ26:28)と言った。契約とは、神が旧約の預言者を通して語り、約束した「新しい契約」を指す(エレミヤ31:31~34)。神は人の罪をゆるし、新しい人間を創造するという新しい契約を、御子みこイエスの死をもって果された。ここに神の真実がある。十字架に象徴されるように、この世に神の真実があるのかと思われる不条理の中で、神はご自身の真実を啓示された。
キリスト教の信仰は、神の真実を信じる信仰である。私たちは真実を守り通せない弱い人間である。しかし、私たちは不真実な人間であっても、神は真実である。神の真実は愛と結びついているので、私たちは神により頼むことができる。「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練にわせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(Ⅰコリント10:13)


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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