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朗読 『一日の発見 365日の黙想』3月4日

3月4日

律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷はっか、いのんど、茴香ういきょうの十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。 

マタイによる福音書2323


 律法学者は信仰上の問題だけでなく、日常の諸問題にも律法に照らして助言指導する人々で、ユダヤの社会では尊敬されていた。しかし、主イエスは彼らを今日の聖句のように「偽善者」と言った。彼らは律法に忠実な人間であることを人々に示そうと、畑で収穫した小さな野菜でも、その十分の一を取り分けて献げるが、律法の最も重要なことをないがしろにしていると言うのである。律法は神に対してなされる行為であるのに、彼らは人に見られることが関心事になっていた。人間の横の関係だけで生きており、神との縦の関係がなかった。

 主イエスは「あなたたち偽善者は不幸だ」と言った。反対に、「心の貧しい人は幸いだ」と言う。主イエスが言う「幸いな人」とは、自分の霊性の貧しさを知って、神の憐れみを祈らざるをえない人である。主は「天の国はその人たちのものである」と言う。それゆえに、主イエスの言う偽善者とは、神のまなざしに気づかず、心を砕かれて「罪人の私をお赦しください」と祈ることのない人である。そのような人は「天の国」と無関係に生きているので、不幸だという。
 主イエスはまさに、裁かれるしかない偽善者に代わって、その不幸を背負い、父なる神に裁かれてくださった。十字架を仰ぐ時、「不幸だ」と言う主の言葉が、呪いではなく、私たちの悔い改めを待つ招きの言葉であると知る。主の言葉に導かれて、自分の霊性の貧しさを告白し、神の憐れみを祈り求めよう。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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