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朗読 『一日の発見 365日の黙想』2月29日

2月29日
※本書に従い2月29日も掲載致します。

神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。

マタイによる福音書22章32節


 死人の復活などないと言うサドカイ派の人々が、主イエスのところに来て、七人の兄弟の妻となった女性は復活したらだれの妻になるのかと質問した。彼らは復活の不合理を突いた。主イエスは言った、「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている」。そして、「復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ」と答えた。主イエスによれば、天国は地上の延長ではない、まったく新しい世界である。復活の時、地上の体ではなく、「復活のからだ」が与えられて、愛する者との交わりを持つ。しかし、夫婦、親子という地上の関係は一新される。
 主イエスは、「神はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と言って、今日の聖句を語った。神はアブラハム、イサク、ヤコブ一人ひとりの名を呼び、彼らを愛し、導いた神である。彼らもまた神の呼びかけに応え、神を信じて生きた。この神との交わりは、死では終わらない。神は永遠に生きているので、神との交わりは永遠である。神は、死んだアブラハムの神ではなく、生きているアブラハムの神である。
 私たちは死後のことについて、聖書が語る以上のことを想像したり、描写することは許されていない。聖書に即して言えば、天の国は永遠なる神の支配の中にいることであり、永遠の死は神の呼びかけに応えず、依然として神なき罪の中にとどまっていることである。主イエスは言った。「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている」(ヨハネ5:24)


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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