家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。
マタイによる福音書21章42節
イスラエルの指導者たちは、主イエスの言葉と行動を通して示される神の意志を悟らず、むしろ危機感を募らせ、主を抹殺しようとした。主イエスは「ぶどう園の主人」の譬えによって、人間は神から委ねられた役割を、神に対して責任を負っていることを語った。神は人間が各々の場所で、その責任を神の意志に応えて果たすことを求める。
神は、神の言葉を全世界に語る民として、イスラエルを選び、預言者たちを遣わした。しかし、イスラエルは神が遣わす預言者たちを拒絶し、殺した。これに対して、神は「わたしの息子なら敬ってくれるだろう」と言って、息子を送った。ところが、イスラエルは、「息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった」。主イエスは神に対して責任を負おうとしない人々の罪と、人々に殺されるご自分の死を語ったのである。そして、「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか」と言って、今日の聖句(詩編118編)を語られた。これは、人々が邪魔だと思って捨てた石が新しい建物の土台石となったという預言である。その預言のとおり、人々が邪魔者として十字架にかけて殺した主イエスを、神は死から甦らせ、罪人を贖う救いの岩とされた。「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました」(ヘブライ1:1~2)。今、神の言葉を証しする役割は、主イエスの血によって贖われた民、新しいイスラエル(教会)に委ねられている。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
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この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。