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朗読 『一日の発見 365日の黙想』2月26日

2月26日

「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである」。ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。

マタイによる福音書21章13節


 エルサレムに入った主イエスは神殿に直行し、そこで売り買いをしていた人々を追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒した。今日の聖句は、その時の主の言葉である。
 神を礼拝する神殿は、祈りの家と呼ばれる。礼拝は、何よりも祈りによる神との対話、神との交わりである。私たちは神の前で、み言葉を聞き、祈って応答する。祈りは、世界を創造し支配している父なる神、世界を罪の支配から救う子なる神、私たちのうちに働いて父と子の業を実現する聖霊の神の三位さんみにして、ただ一人の神にお会いする合言葉である。それゆえに、礼拝の形式があっても、また人を惹きつける盛りだくさんのプログラムがあっても、礼拝する者が神に祈らないならば、それは無意味な見せかけの礼拝である。
 主イエスは真の礼拝を求め、見せかけの礼拝を壊される。主イエスがエルサレム神殿に行って、激しい行動を起こされたのは、「霊と真理をもって」(ヨハネ4:23、24)礼拝する者を求めている父なる神の意思を示すためであった。
 私たちは主の言葉が示す神の御心みこころを知って、神の前に悔い改めなければならない。私たちに罪とその悲惨さとを気づかせて、私たちを悔い改めに導くのは聖霊である。主イエスの言葉と父なる神の愛によって私たちを慰め、神への献身の思いを新たにさせるのは聖霊である。礼拝の前に、まず私たちは心を静め、礼拝のすべてにおいて聖霊が働かれることを求めて祈ろう。聖霊を求めて祈り、聖霊に導かれるところに、神とお会いする真の礼拝がある。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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