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朗読 『一日の発見 365日の黙想』2月21日

 

2月21日

二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。

マタイによる福音書19章6節


 この時代、ユダヤ人の生活を律する法はモーセの律法であった。離婚について、申命記には「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」(24:1)とある。律法学者の間で「恥ずべきこと」をめぐって、これを「姦淫かんいん」に限定する解釈と、「夫が恥ずべきと思ったこと」とする拡大解釈があった。女性の人権が軽く見られていた時代であり、後者の解釈が幅を利かせていたらしい。

 人々は主イエスがどの解釈を取るか試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているか」と問うた。主は創世記から神が定めた結婚の意義を語り、今日の聖句をもって離婚を否定した。そして、申命記の律法はモーセが一方的に離縁される女性を守るため、条件つきで離縁を許したのであると説明した。さらに、主は男性にも妻に対する貞節の義務を語り、男も女も神の前では平等であることを強調した。この言葉は古代の家父長制時代にあって革新的であった。弟子たちすら理解できず、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。主は離婚を律法的に禁じたのではなく、結婚の祝福を語ったのである。結婚は人間の思いを越えた神の御旨みむねによるのであり、二人がそのことを信じて、どんなことがあっても関係を切らないと約束することによって、神の祝福にあずかる。結婚の祝福とは、離別の危機を神の助けによって乗り越え、相互の信頼と感謝の絆が築かれてゆくことである。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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