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朗読 『一日の発見 365日の黙想』2月13日

2月13日

あなたたちは、……空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか。よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。

マタイによる福音書16章3~4節


  サドカイ派は死人の復活はもとより、霊の世界を信じない現世主義者であった。彼らが神殿に行って礼拝するのは、宗教儀礼であり、ユダヤ人としての「たしなみ」であった。日本人にも、サドカイ派のような宗教観を持っている人が多い。これに対して、ファリサイ派は形骸化したユダヤ教を批判する信仰復興運動グループであった。彼らは律法を守ることに熱心であり、律法を守らない人々を蔑み、敵視しさえした。今日もたたりや裁きを説いて人の心を怖れで縛る宗教が現れる。信者は教祖に洗脳されて画一的な行動を取るので、一見、熱心であるが、自分たちを批判する者を敵と見るから、対話が成り立たない。

 儀礼化した宗教に対しても、熱狂的で自他を分離する宗教に対しても、主イエスはその間違いを指摘した。そこで、両派とも主に対して敵意を抱き、「あなたが神から来た者なら、そのしるしを見せよ」と言った。これに対する主の答えが今日の聖句である。すなわち、「ヨナのしるし」が指し示す十字架の死と復活が、主イエスが神から来た者であるしるしである。主イエスの言葉と業、その死と復活こそ、人間が自らの存在意味を問う宗教的な問いに対する神の答えである。人間は偶然に生まれ偶然に死ぬのではなく、神に創造され生かされて、主イエスにおいて啓示された神の御心みこころに応えるべき存在である。そして、どのような時代であっても、神が支配している「時」のしるしを見分けて、信仰と希望を持って生きるのである。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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