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朗読 『一日の発見 365日の黙想』2月9日

2月9日

天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。

マタイによる福音書13章44節

 

 主イエスは天の国を、畑の中に隠されている宝にたとえ、これを見つけた人は喜び、自分の持ち物を売り払って、その畑を買うのだと話された。天の国は義と愛の神が支配するところである。それは終わりの日に完全に現れるが、すでに私たちの所に来ているので、これを見出すことができる。天の国という宝は隠されているが、人はこれを信仰によって見出すことができる。そして、見出した者には、天の国は全財産を売り払うだけの値打ちがある。
 天の国が宝である理由は、第一に、ここに「罪のゆるし」があるからである。主イエスが私たちの罪のために死んでくださったので、私たちは罪を赦されて、神に義とされる。そして、神を父と呼び、神に信頼する人生の祝福を得る。
 第二に、ここに「神の愛」があるからである。主イエスによって現れた神の愛は、苦しい時も悲しい時も、私たちから離れることのない全き愛である。
 第三に、ここに「永遠の命」があるからである。この世で生きる時、そして、死ぬ時も、永遠に主イエスと結ばれている命である。それゆえに、私たちは死の陰の谷を行く時も、安心である。
 宝を発見した人は喜んで自分の持ち物を売り払った。そのように、「天の国」を見出した者は、この宝のために自分のものを注ぎ込む。キリスト者は天の国の祝福にあずかって、喜んで神の栄光のために、自分の持ち物、賜物を捧げて神の御心みこころを行う。福音の宝を発見しても、これに自分を賭けず、持てる物を注ぎ込まないなら、いつか宝の価値が分からなくなるであろう。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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