ようこそ西川口キリスト教会のホームページへ

地域と共に歩む桜並木の教会

教会員ページ

朗読 『一日の発見 365日の黙想』2月3日


2月3日

人の子は安息日の主なのである。

マタイによる福音書12章8節


 創世記一章によれば、天地創造を終えた神は、創造したものを見て、良しと言ってそれらを喜び、祝福し、憩われた。これが安息日である。神は、人が神に造られ、神の喜びの対象であることを覚えさせるために、私たちを安息日に招く。安息日は、私たちが仕事の手を休め、神の前に出て、私たちを良きものとして造り生かしめる神の喜びにあずかる礼拝の日である。ところが、人は創造主なる神を崇めようとしない。自分の持っている物はすべて、自分の命すらも、自分が得たものと思っている。その結果、人は仕事や物の奴隷になり、生かされている喜びを知らず、忙しく、空しい人生を送っている。
 神を礼拝する民として選ばれたユダヤ人も、主イエスの時代、礼拝が喜びでなく、重荷となっていた。宗教指導者が安息日を強制し、こと細かな律法で人々を縛っていたからである。ある日、律法に熱心なファリサイ派の人々が、安息日の律法に違反した主イエスの弟子の行為を見て、非難した。その時、主はダビデの故事を引いて、律法は人を縛るものではないと言って、今日の聖句を語った。
 人の子イエスは、自らの死をもって人の罪をあがない、人々がその罪を無条件に赦されて、神の御座に近づけるようにした安息日の主である。主イエスの赦しの恵みにあずかった者は誰でも、はばかることなく神の御座に近づくことができる。安息日の律法や礼拝の形式に縛られないで、安息日の主をこそ仰ぐべきである。そうすれば、安息日は、私たちを造り、生かし、赦す父、御子、聖霊の三一の神の恵みにあずかって、心から神を礼拝する「喜びの日」(イザヤ 58:13)となる。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

PAGE TOP