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朗読 『一日の発見 365日の黙想』1月27日

1月27日

医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく、病人である。……わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。

マタイによる福音書9章12~13節

 

 主イエスは徴税人マタイを弟子に招いた。ユダヤ人は、ローマの下請けである徴税人を罪人と呼び、差別した。主イエスがマタイの家で食事をしていた時、ファリサイ派のユダヤ人が来て、なぜ徴税人や罪人と一緒に食事をするのかと主イエスに問うた。その時、主イエスは今日の聖句を語った。
 一緒に食事をすることは仲間であることを意味した。主イエスは罪人と呼ばれた人々と食事をし、彼らの仲間となって、その苦しみを共有したのである。イザヤはこの方の到来を預言した。「彼らの苦難を常に御自分の苦難とし、愛と憐れみをもって彼らをあがない、昔から常に彼らを負い、彼らを担ってくださった」(イザヤ63:9)。神の御子みこが人となり、しかも罪人の仲間となられたのは、罪のために死んでいた者を生かすためであった。「イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪をつぐなうために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです」(ヘブライ2:17)。
 徴税人マタイが主に従ったのも、罪人が主と共に食卓に着くことが出来たのも、罪人を招き、生かす主イエスの先立つ愛があったからである。自分の罪と、その悲惨を知る者は幸いである。主イエスのうちに、罪人を招き、生かす神の憐れみを見るようになるからである。「憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし」(エフェソ2:4~5)てくださった。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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