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朗読 『一日の発見 365日の黙想』1月21日

1月21日

人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。

マタイによる福音書7章1節


 主イエスの今日の聖句は、自分が人から裁かれないために、人を裁くなという自己保身を教えたのではない。裁きは神のみがなさることであるから、裁くなという。

「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」(3節)。丸太が目の中に入るはずはないから、これは主イエスのユーモアである。私たちは他人の間違いや欠点はよく見える。しかし、私たちが他人の中に見る罪に比べたら、神の前に知られている自分の罪の方がはるかに大きいことを、主はこのように表現した。神の前に、私たちの隠れた罪は大きい。それなのに人を裁くのは、私たちが神の前に生きていないからである。
 主イエスは「わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来た」(ヨハネ12:47)と言った。もし主が裁くために来たとしたら、私たちの隠れた罪は白日の下にさらされて、神に裁かれる他ない。しかし、主イエスが十字架の翼の陰に私たちの罪をおおってくださったので、私たちは神の怒りから救われ、神の前に出ることができる。
 主イエスを信じて罪を覆われた私たちは、もはや神の裁きを恐れない。神の前に立つ終わりの日は、私たちにとって裁きの日ではなく、神の国を受け継ぐ救いの日である。神の前に生きる幸いを得た私たちに対して、主イエスは「人を裁くな」と言う。人を裁くのは神である。相手のためにと思う裁きは交わりを破壊する。人を裁かず、むしろ人の重荷を負い合うところに、キリストの体である教会は建て上げられてゆく。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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