御名が崇められますように。
マタイによる福音書6章9節
今日の聖句は、「主の祈り」の第一の祈りである。名とは、その人自身、その人格を表わす。神はイスラエルの歴史の中でご自身の「名」を現わされた。その名は「主」(ヤーウェ)、万物をあらしめている創造者、人間に語りかけられる人格である。
「御名が崇められますように」とは、神の御名が私たちの間で高められ、賛美されますようにという祈りである。とかく、私たちの祈りは、自分が人から崇められるように、自分の思いが叶えられるようにという願いに終始しがちである。しかし、主イエスは私たちに祈りを教えて、第一に祈るべきことは、神の「御名が崇められる」ことであると言われた。
神の御名を崇めるとは、具体的に、主であり、天の父である神を礼拝することである。「主の日」に、すなわち主イエスが復活された日曜日に、神の宮である教会に集い、神の言葉を聞き、御子イエスを通してなされた神の救いの御業を賛美し、へりくだって自分の罪のゆるしを求め、救いの恵みにあずかって感謝の応答をすることである。礼拝は有益な話を聞いて自分を高める講演会でも、賛美歌を歌ったり聞いたりする音楽会でもない。「主の日」に仕事の手を休め、すべてのことに優先して礼拝を守ることによって、神の御名を私たちにとって最も「価値あるもの」として崇める。この世では、お金、権力、名誉などが「価値あるもの」とされ、神のように崇められることが多い。「御名を崇める」とは、主なる神をおいて他に、何ものも神としないという告白である。宗教改革者のルターは冒頭の言葉を、「父よ、御名が崇められるよう、私たちを助けてください」と言い換えた。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
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この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。