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朗読 『一日の発見 365日の黙想』1月7日

1月7日

心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。

マタイによる福音書5章3~5節


 人間には肉体と精神と、神を求める霊性が備わっている。「心(原語は「霊」)の貧しい人」とは、自分の霊性の貧しさを知って、神を切に求める人である。霊性の貧しさを知らない人は、神を求めることをしない。主イエスは「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」(ルカ11:13)と言った。霊性の貧しさを知って、切に祈る者は、聖霊の働きによって、主イエスによる罪の赦しと神の愛を知るようになる。そして、神が支配する「天の国」に招かれていることを確信する。
 「悲しむ人」とは、他者からの慰めの言葉も通じないほど悲しみに遭っている人である。この世には愛する者を失い、人に誤解され、故国を追われるという悲しみが満ちている。そのような悲しみを慰めることができるのは、この世に来られて人となり、苦しみをどん底まで味わい、十字架の苦しみと死を通って復活された主イエスだけである。悲しむ人は、まことの慰め主イエスによって慰められる人である。
 「柔和な人」とは、重荷に耐えている人である。人は皆、病気、老いなど、他人に代ってもらえない荷を負って生きている。「重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい」(11:28)と主イエスは招く。重荷を主イエスに委ねる時、主は私たちの重荷を一緒に負ってくださる。同時に、主イエスは私たちにご自分の重荷を一緒に負うようにと招く。主イエスの重荷を負い、主とくびきを共にする時、私たちは「地を受け継」ぎ、重荷をかつぐ力を与えられる。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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